第8章  損害額の算定

 

  1 損害の種類

 
 

 歯科診療過誤を巡る損害額の認定については、原則として通常の一般不法行為における議論と区別する理由は存在しない。

 歯科診療過誤にも種々の類型が存在するので事案によって損害として認められる範囲も異なることは当然であるが、一般的には、判例【5】を典型例とするように、・・・

<1> 過誤により無益な出捐に終わった当初の治療費、

<2> 過誤部分の再治療に要した費用、

<3> 傷害慰謝料、

・・・が損害として認められるのが通常であるが、さらに、

<4> 判例【9】のように、過誤による休業の必要性が認められれば休業損害も損害として認定される<注43>

 もっとも、右<1>及び<2>の各治療費に関しては健康保険診療を使用した部分については患者自身の出捐がない以上、算定すべき損害から除外されることになるので、これらの損害が請求の対象とされていない事案もあるが、歯科診療においては前述のとおり自由診療が多いという特色があり、その場合は患者自身の出捐による治療費の請求がなされることになる。

 これに関連して、自由診療によるブリッジ製作上の過誤を認めた判例【8】が、右<1>の損害として、過誤のあった「ブリッジ代金相当額の損害」を検討する際に、ブリッジの耐用年数を最低10年間としつつ、治療後2年間はこれを使用できていたこと等を理由として、右代金相当額の80%のみを損害として認定していることが注目される。

 また、インプラントの失敗に関する判例【9】では、右<2>として、過誤のあったインプラント除去後の有床総義歯作成費用が損害として認められている。

 また、<5> 訴訟委任のための弁護士費用についても、不法行為責任が認められた場合はもとより、判例【8】及び判例【(a)】のように債務不履行責任のみが認定された場合でも、損害として認められている。

 以上に対し、<6>後遺障害に関する損害については歯科診療過誤領域は次の特色を有する。

 すなわち、医療過誤領域一般については、労災認定や交通事故の自賠責保険調査事務所の認定のような独自の後遺障害等級認定システムを有しないので、医療過誤の結果として発生した後遺障害の等級ないし労働能力喪失率の評価は容易ではない。

 歯科診療過誤訴訟においても、後遺障害として神経症状の残存が主張されることがあるが、前記のような理由により、自賠責保険調査事務所の認定では比較的容易に認められる神経症状についても、医療過誤領域では裁判所の認定はこれに比べて厳格である。その例として、インプラント失敗のケースに関する判例【21】は、「原告は右顎付近の痺れや痛みを訴えて日本歯科大学付属病院で治療を受けていることが認められるものの、その原因、程度、永続性等について医学的に証明する資料は提出されていないのであって、右痺れや痛みをもって右等級の一二級あるいは同一四級一〇号(局部に神経症状を残すもの)に該当するものと認めることは相当ではない。」としている。

 次に、歯科診療過誤では、口腔という部位に関する直接損傷に基づく後遺障害が問題となる場合が通常であるが、同部位については、労災や自賠責保険の等級認定で、「そしゃく及び言語機能障害」及び「歯牙欠損」を障害系列とする後遺障害が等級認定の対象とされており、ことに「歯牙欠損」に関しては補綴を加えた歯牙の本数により障害序列が明定されているので、その等級該当性の判断は比較的容易である。

 両障害系列ともに、当該後遺障害に関する慰謝料が認められるべきことに異論はないが、「歯牙欠損」に基づく逸失利益については、同じ不法行為領域の一つである交通事故損害賠償の領域における判例において、被害者に「歯牙欠損」を内容とする後遺障害が残存したことによる労働能力の低下を認めることができず、もしくは将来の所得が左右されると認めることができないことを理由に、当該後遺障害に関する逸失利益が否定される傾向がある<注44>

 歯科診療過誤の領域では現在まで判例で正面から問題とされた事案は存在しないようであるが、以上の議論と区別すべき理由もないように思われる。

 もっとも、既に歯牙に障害を持つことを理由に来院するという歯科診療の本来の形態を前提とすると、当該歯牙自身に関し新たな「歯牙欠損」による後遺障害が問題となるケースは極めて例外的であろう。これに対し、口腔部位に関するもう一つの後遺障害類型である「そしゃく及び言語の機能障害」のケースでは、異なる考察が必要である。

 例えば、判例【9】は、歯科医師の過失の結果として患者が負った咀嚼機能の著しい後遺障害が、労災後遺障害等級にいう第6級第2号に該当し、労働能力喪失率は67%と評価できるとして、平均賃金センサスに基づき、67歳までの逸失利益を認定している。

 同判例では、咀嚼機能の著しい障害の結果として流動食程度しか摂取できなくなり健康を損なったため従前経営していた喫茶店を閉店せざるを得なくなったという事情が認定されており、実質的にはこの点が逸失利益を認めるべき重要な要素となったものと推測されるが、「そしゃく及び言語の機能障害」による逸失利益が認められること自体は比較的容易であるようにも見える。

 これに対し、判例【21】は、インプラント失敗のケースについて、「咀嚼機能に障害が残っていることも認められるが、・・・原告の歯は被告の治療を受ける以前から歯槽膿漏で手遅れの状態であったこと、原告の場合インプラントに対する適合性に疑問があってインプラントによる咀嚼機能の根本的改善は当初からあまり期待できなかったことなどを考慮すると、被告の債務不履行と因果関係のある咀嚼機能障害の有無・程度を認定することは困難である。したがって、本件については、逸失利益の算定の基礎とすべき後遺障害の有無・程度を確定することができないから、逸失利益の賠償請求は理由がない。」として、これを否定していることが注目され、やはり既往症等との関係において、逸失利益認定の困難性が示唆されている。
 

 過誤の結果として患者が死亡した事案でも、判例【7】にみられるように、一般不法行為と同様に、死亡慰謝料、逸失利益及び葬儀費用が損害として認定されており、また、右判例では、不法行為責任に基づき遺族固有の慰謝料が認められていることは前述のとおりであるが、一般の交通損害賠償等の場合と比較すると、総額として高額の慰謝料が認められている。

 なお、判例【2】では、延命利益が問題とされ、担当歯科医師が胸部X線検査義務を履行しておれば、癌の肺転移の早期発見により、手術の適応がなかったとはいえ、全身状態の良好な時期に治療に着手すれば治療効果も高まり患者の生命をいくらかでも延命できたとして、慰謝料の支払いを認めた。

 少なくとも死期を早めたという点(生存期間の短縮)が法的保護の対象となるということについては異論は少ないものと思料されるが、このような場合の損害については延命期間の算定が困難であること等から議論が分かれており、この点が、右判例においても精神的慰謝料のみの請求及び認容につながったものと思われる。