表現の自由の変容4報道の自由
古典的な表現の自由は、思想・信条・意見を表明する自由として位置づけられていた。したがって、単なる事実を報道する自由とは区別されていた。
博多駅事件に関する最高裁昭和44年11月26日大法廷決定
- 「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の『知る権利』に奉仕するものである。したがって、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法二一条の保障のもとにあることはいうまでもない。」(刑集23巻11号1490頁・判時574号11頁)
このように、現在では、単なる事実に関する「報道の自由」も憲法21条の「表現の自由」として保障されることについては争いはない。