第3章  責任原因に関する法律構成

 

  1 責任原因の法律構成に関する実務的傾向  
 

(1) 歯科診療過誤紛争の訴訟形態

 前述のようにして成立した歯科診療契約に基づく治療行為によって、患者の予期せぬ悪い結果が発生した場合、右結果が歯科医師側の落ち度に起因するものとして、歯科診療過誤紛争に発展するケースが存在する。

 このような歯科診療過誤紛争に関しては、判例上、業務上過失致死傷罪等の刑事処分が問題とされた事案もあるが、これに関する民事訴訟の典型的な形態は、一般の医療過誤紛争と同様に、歯科医師の診療上の過誤を理由として患者側が損害賠償請求訴訟を提起するというものである(なお関連する特殊類型として【4】大阪高判昭和61年1月30日判タ589号108頁がある)<注8>。

 

 (2) 請求原因に関する実務的傾向

 ところで、その場合における原告たる患者側の請求原因に関する法律構成の実務的傾向については、一般の医療過誤訴訟の場合と基本的に同様であり、債務不履行責任(契約責任)と不法行為責任との請求権競合論を前提に、両責任のうちの一方又は双方(選択的併合もしくは予備的併合)を請求原因として訴えが提起されることになるが<注9>、中でも歯科診療過誤訴訟では、両責任の選択的併合によるケースが多くを占めている。

 例えば、【5】大阪地判昭和57年8月20日判タ482号143頁、【6】東京地判昭和57年12月17日判タ495号153頁、【7】浦和地裁熊谷支部判平成2年9月25日判タ738号151頁、【8】京都地判平成4年5月29日判タ795号228頁、【9】東京地判平成5年12月21日判タ847号238頁等では、原告たる患者側は請求原因として両責任の選択的併合を主張しており、また【10】東京地判昭和58年8月22日判時1134号104頁では、両責任の予備的併合を主張している。

 もとより、担当歯科医師が勤務医であるような場合には、患者との間に契約関係がないので、当該歯科医師に対し債務不履行責任を追求することはできず、不法行為責任によらざるを得ないことになる。

 しかし、他の医療領域と比べて、歯科診療の場合は個人で営む比較的小規模な診療所(医院)の形式である場合が多いので、診療契約の当事者たる歯科診療所開設者と担当歯科医師とが一致するケースが多い。

 さらに、両者が異なる場合でも、担当歯科医師と並んで診療契約の当事者たる診療所ないし病院の開設者に対して責任を追及する場合には、使用者責任(民法715条)と債務不履行責任(履行補助者の過失)との競合が問題となりうる。例えば、判例【2】の原告は、大学病院の担当歯科医師自身に対し不法行為責任を、国に対し不法行為による使用者責任及び債務不履行責任の選択的併合を請求原因としており、同判例は被告双方に対し不法行為責任を認めている。

 

 (3) 認容判例の傾向
 

 他方、両責任の選択的併合もしくは予備的併合が請求原因とされたケースで、判例により請求の全部又は一部が認容された事案において、裁判所が、どちらの責任に依拠しているのかという点も興味深い。

 この点につき、判例【8】のように債務不履行責任のみを認定したものもあるが、一般的には、判例【2】、【4】ないし【7】のように不法行為責任のみを認定しているケースが多い。

 また、判例【9】及び【10】のように、判決理由においてどちらの構成を採用するかを明言せずに単に認容しているにとどまるものも少なからず存在している。

  2 実務的傾向に関する分析  

 (1) 両責任間の異同

 以上のような実務の傾向が、どのような背景に基づくものかを考察するにあたっては、その前提として、両責任間に如何なる異同が存在するのかを検討する必要がある。

 この点につき、一般医療過誤領域における従来の議論を要約すると、まず、医師の注意義務違反の有無に関する証明責任の分配という点では、現在では、どちらの責任による場合も、患者側が負担すると解されているので、実質的な差異に乏しいと考えられるに至っている<注10>。

 また、注意義務の内容についても、一般の法律関係においては両責任間には観念的な差異があるのに対し、医師の診療上の注意義務内容に関しては両責任間に実質的な相違は存在しないと解されている<注11>。

 さらに、過失相殺の点や後述のとおり弁護士費用の賠償が認められている点でも、両責任間に差異は生じないとされている<注12>。

 これに対し、不法行為責任は、債務不履行責任と比較すると、一方で、短期消滅時効(民法724条)が存在するという点で患者側に不利であのに対し、他方で、死亡事案において遺族固有の慰謝料が認められている点や、遅延損害金の起算点が不法行為時とされる点で、患者側に有利であるという差異が認められている<注13>。

 このような点から、不法行為の短期消滅時効の成立すべき事案では債務不履行構成によらざるを得ないが、それ以外の事案では不法行為責任によるべきである旨が指摘されている<注14>。

 もっとも、もし債務不履行の前提となる補綴を中心とした歯科診療契約の性質を請負契約と解するのであれば、以上のような一般医療過誤領域における議論は直ちに妥当しないことになろうが、前述のとおり、これを準委任契約とする通説的見解を前提とする限り、一般医療過誤事件に関する以上の議論は歯科診療にも基本的に当てはまることになる。

 

 (2) 判例の傾向に関する背景の分析

 以上の検討からすれば、歯科診療過誤領域に関し、原告が両責任の選択的併合もしくは予備的併合を主張したケースにおいて、短期消滅時効の成立が問題とならない事案では、判例には不法行為責任のみを認めるものが多く(特に判例【7】では、まさに患者死亡事案において遺族固有の慰謝料が認められている)、また、遺族固有の慰謝料も問題とならないケースでは、判決理由でどちらの構成を採るかを明言せずに単に認容するにとどまるものも少なくないという前述の実務的傾向の背景を理解することが可能である。

 さらに、不法行為責任による認容判例が多い理由としては、以上の他に、現在に至るまで交通事故損害賠償等で蓄積されてきた不法行為に関する損害賠償基準に基づいた逸失利益等の損害額算定が可能となるという背景事情が働いているものと推測することもできよう。

 これらの点で、【11】東京地判昭和53年12月14日判時952号96頁、【12】横浜地判昭和58年10月21日判時1094号85頁、【13】東京地判昭和58年11月10日判時1134号109頁、判例【1】等で、患者である原告側が請求原因として不法行為責任のみを主張したことの背景を理解することも容易である。

 このような検討結果にもかかわらず、訴え提起に際し原告が両責任の選択的もしくは予備的併合を主張するケースが多いという傾向は、両責任のうちの一方のみを請求原因として訴える場合と比べて貼用印紙額の点でも同一であるから、原告たる患者側には経済的負担が増加しないので、原告代理人弁護士としても、どちらか一方のみを主張するよりも双方の責任を主張する方が万全であるという意識が強く働いているものと推察される。

 いずれにせよ、責任原因に関する原告側の請求原因の立て方の傾向や認容判例の傾向という点では、歯科診療過誤訴訟は、通常の医療過誤訴訟の場合と比較して基本的な差異は存在しないものということができる。

 

 (3) 債務不履行責任を認容したケース

 これに対し、近時の判例【8】は、原告が両責任の選択的併合を主張したのに対し債務不履行責任に依拠して認容したという興味深いケースである<注15>。

 本件は、相当長期の年数にわたり保持できる旨の開業歯科医師の説明を信じて自由診療(健康保険を使用しない自費による診療)により装着した「セラミック前装鋳造冠ブリッジ」が、その後の約5年間に計4回も離脱したという事案で、歯科医師は「少なくとも一〇年間の長期使用に耐えるようにブリッジを補綴を施すべき債務を負っていたことが認められる」と判示している点でも異色である。

 もっとも、本判例は、注意義務違反の認定にあたり、右判示部分に直接言及することなく、ブリッジ離脱の原因として一方の支台歯の根管内ポストの長さ不足及び他方の支台築造にあたり軸面テーパーを大きくとりすぎたという設計・製作上のミスが存在したことを理由に、右歯科医師の責任を認めている。したがって、右判示部分が、注意義務違反の認定自体についてどのように関係しているのか、債務不履行責任を認めることとどのように結びつくのかについては、必ずしも判旨からは明らかとはいえない<注16>。

 しかし、歯科診療においては、後述のとおり、治療方法の選択性に一定の幅が認められ、しかも審美性等の観点から患者が自己決定すべき範囲が比較的広範であるという特色を有している。さらには本件の如く歯科医師の勧めにより患者は自由診療による治療方法を選択することにより健康保険診療と比較して高額な診療報酬を自己負担することにもなるのであるから、右選択のための判断資料として歯科医師がこれに重要な影響を与えるような内容の説明をおこなった以上は、それが一定の結果を保証する内容にまで達しない場合でも、右説明内容に即し歯科医師の契約責任上の注意義務内容が加重されることになるのはやむを得ないものと思料され、この点で、歯科診療の特色が存在するものと思われる。