しかしながら、別に、「悪徳商法」は、ごく最近始まった問題ではありません。
遠い昔から存在しております。
「押し売り」
例えば、比較的古い昔でなくても、数十年前までは、よく「押し売り」というのがありました。
この「押し売り」というのは、一応は皆さんもお聞きになったことがあるかもしれませんが、坊主刈りの怖そうなおじさんが見知らぬ家に押し掛けて、「わしは今日刑務所から出所してきたところだ。」等と言って凄んで怖がらせる、そして「これを買ってもらうまではここから動かん」なんて言って、安物の歯ブラシとかゴムヒモのような、しょうもない物を、高い値段で無理矢理売りつけるというスタイルです。
これなんかは、人を脅迫してお金を出させるのですから、刑法上の恐喝罪にあたることになります。
立派な犯罪行為です。その結果は、罰金や懲役刑になります。
つまり、「わしは今日刑務所から出所してきたところだ。」なんて凄むわけですから、怖くなった家の人が電話でもして警察を呼べば、「押し売り」は逮捕されて、本当に刑務所に戻らなければならないわけです。
さらに、現在では、マンションとかですと、誰かがやってきても、インターホンとドアの覗き穴で相手を確認できます。まさか、インターホン越しに「わしは今日刑務所から出所してきたところだ。だから玄関のドアの鍵を開けてくれ。」などと言ったところで、誰も開けてくれない筈です。そういった意味では、「押し売り」という職業・・・これを職業と呼んで良いかは問題ですが・・・成り立ちにくくなったと思われます。
もっとも、ここで肝心なのは、現代社会においても、もっと複雑化した形で、脅迫による「悪徳商法」は依然として存在しているという事実です。その判りやすい例が、暴力団による押し付け販売というケースです。例えば、飲食店から、用心棒代をとったり、高い価格のおしぼりやパーティー券を買わせる、こういったことは、「押し売り」が形を変えたものに他なりません。これを取り締るために、「暴力団新法」が制定されたわけです。
「まがいもの」
ところで、脅迫による「押し売り」よりも、さらに昔に遡りますと、もっと古典的な「悪徳商法」のようなものがあります。
例えば、モナリザなんかの「ニセ絵画」(贋筆)なども大昔から存在しております。
これなんかも、本物だと言って知らない人を騙して売りつけるために昔から使われてきたことになります。つまり、先程の「押し売り」が人を脅迫して怖がらせるという点での古典的なタイプの「悪徳商法」であるとしますと、この「まがいもの」を売りつけるというスタイルは、人を脅すのではなくて、人を騙すという古典的なタイプということになります。
某テレビ局で、「テレビ何でも鑑定団」という人気番組がありますが、この番組なんかを見ていましても、本物の美術品と混じって、続々と骨董品の「まがいもの」が登場して参ります。そうしますと、出演された人の、おじいちゃんだとか、ひいおじいちゃんだとか、祖先の誰かが、遠い昔に悪徳商法に引っかかったのかもしれない、という事になってしまいます。
この「まがいもの」という類型も、実は現代社会に至るまで営々と続いております。
その実例が「偽ブランド商品」です。「まがいもの」のブランド商品を騙されて本物と誤解して買わされたのであれば、これは刑法上の詐欺罪にあたります。ところが、今日では、偽ブランド商品という「まがいもの」を「まがいもの」つまり偽ブランド商品と知った上で安くで買う人が存在するところに、現代における問題の複雑さがあります。
その点はともかくとして、これらは商品そのものが「まがいもの」であった例ですが、別の意味の「まがいもの」というのもあります。例えば、かつては「消防署のほうから来ました」と言って消化器を売りつけるというパターンもありました。
この消防署の「ほう」という部分が曲者で、勿論、消防署から来たのではなくて、消防署の方向からやって来たと言うだけの話です。
よく考えれば、公共機関である消防署が消化器の訪問販売の商売をしているわけはないので、ニセ者の消防署員なのですが、ちゃんと家庭に置いてある消火器を点検して、「奥さん、この消化器は古いからもし火事が起こったときは役に立ちませんよ、危ないですよ」「古いままだと法律や条例に違反しますよ」などと言うわけです。
そう言われた人は、消防署の人に「法律条例違反」などと言われると怖いと思って、中には、つい騙されて買ってしまう人がいるのです。これは、詐欺と脅迫との混合といって良いと思われますが、その本質的な部分は、いわば消防署員の「まがいもの」に騙されたことになります。したがって、やはり詐欺罪になります。
「縁日詐欺」
この「まがいもの」というスタイルと並んで、人を騙す商売という古典的なタイプとして、更に別のスタイルも存在しました。
フーテンの寅さん風の「縁日詐欺」というスタイルです(寅さんごめんなさい)。
これは、どういうものかと申しますと、お祭りへ行くと、フーテンの寅さんのように、人が縁日で商品を売っている、ところがフーテンの寅さんのように威勢がいいのではなくて、うんとしょぼくれている、屋台か何かを出しているわけでもなく、地面にビニールの風呂敷を置いて何か商品を並べている。そこでその人の説明を聞いてみると、勤めていた会社が倒産して、潰れた会社から退職金代わりに商品の万年筆を貰ってきた、家に帰れば女房と小さな子供が3人も居るのだけれども、突然の倒産なので、この万年筆でも売らなければ今晩のご飯も食べさせてやることができない、この万年筆は本当は高級品で高いのだけれど、事情が事情なので早くお金にしなければならない、それで、やむなく例えば定価の1割であるとか、非常に安い値段で売って子供のミルク代にするしかない、だから、この困っている自分を助けると思って何とか買ってくれないか、と言うわけです。すると、それを聞いていた観客の一人が、それじゃあんまり子供達が可哀想ではないか、お前が困っている事情はよく判ったし、こんな安い値段でこんな高級な万年筆が手に入るチャンスなど滅多にあるものではない、だから俺が一本買ってやると言いはじめる、そうすると、周囲で聞いていた人も、ついつい、つられて買うというパターンです。勿論、勤務先が倒産したということからはじまって、話はすべて嘘ですし、最初に可哀想だし安いから一本買うと言った人も「サクラ」と呼ばれる仲間の一味です。
これも刑法上の詐欺罪にあたる場合が多いと思いますが、今日では、こんな臭い芝居を信じる人もいないでしょうから、テレビや映画の世界だけでみれる存在になってしまっています。
悪徳商法の本質は脅迫もしくは心理学を悪用した詐欺である
今日「悪徳商法」と呼ばれているケースでは、これらの古典的なタイプと比べると、遥かに複雑で高度な悪のテクニックが用いられています。
ただしかし、この脅迫と詐欺といった2つの古典的タイプには、既に現代の「悪徳商法」のテクニックの中心となるもののほとんどが組み込まれている点には十分に注意する必要があるように思われます。
つまり、「押し売り」などにおける脅迫的行為、「縁日詐欺」における、高級な万年筆が滅多に買えないほど安い値段で手に入る、それが目の前で売られているという「損をしたくない」心理、しかも他の人が買うのに自分が買わなければ損をするという意味での「自分だけ損をしたくない」とする欲望への訴えかけ、勤務先の倒産で食うに困っているという「同情に訴える」行為、このチャンスを逃せばこんなに安くでは万年筆が手に入らないという「あせり」をかき立てる行為、倒産品であるから安い理由は納得できるし、他の人が買うのであるから大丈夫だろうという「安心感」に訴えかける行為、買うことによって困っている人を助けることになるのであるから進んでするべきであるという自分の心理への「合理化」等々です。
要するに、これからさらにお話を進める「現代の悪徳商法」を解明するためにも、昔から現在に至まで、悪徳商法は、暴力的な脅迫を手段とする押し付け販売か、或いは高度な心理学を悪用した詐欺なのです。しかもこの心理学の悪用というのは、徹頭徹尾心理学的な理詰めの世界である、ということを先にご理解いただきたいのです。そして、現代では、手口が複雑化して巧妙になっていることと並んで、被害が大規模化しているという点が大きな特徴になっています。