昭和60年というのは今から約11年前ということになりますが、この年の6月に、豊田商事グループの会長であった永野一男という人物が、大阪市内のマンションで、何とマスコミのカメラが見守る前でマンションに侵入したアウトローに刺し殺されます。事実は小説より奇なりで、全く現実とは信じられないようなお話です。そして、それから数ヶ月後である7月に、大阪地方裁判所で豊田グループ各社が相次いで破産宣告を受け、一応の解決を見ます。
この豊田商事グループといいますのは、一番上に統括会社として、「銀河計画」という会社があり、その下に、豊田商事を中心に、ベルギーダイヤモンドや鹿島商事といった幾つもの会社がグループになっており、ほぼすべての会社が詐欺まがい商法をしておりました。
まず、豊田商事自体ですが、この会社の被害者数は3?4万人、被害総額は1500億円とも言われております。3?4万人と申しますと、甲子園球場がほぼ満杯になるほどの人数です。考えてみますと、被害に遭われたのは子供ではなく大人の方ですので、ちょっとした地方都市の大人の人口全員ということにもなります。つまり例えば、私が生まれました福知山市あたりの20歳以上の成人が町中一人残らず騙されて被害者になる、例えてしまえばこういう状況ですので、これはもう、もの凄い人数であることがお判り頂けるのではないかと思います。
私が最初に、現代では、手口が複雑化して巧妙になっていることと並んで、被害が大規模化しているという点が大きな特徴になっていると申し上げた意味をご理解いただけると思います。
この豊田商事というのは一応大阪の会社ということになっております。しかし、私も大阪人ですので、大阪の名誉のために申し上げておきますと、もともとは東京の会社です。その東京の会社が最初は主として名古屋をはじめとする東海地区で金地金の先物取引をやっておりました。金地金と申しますのは金の延べ棒です。と言いましても、金の延べ棒その物の現物を売っていたわけではなくて、先物取引、つまり、売買する時点で現物は存在しないわけです。その点で、このころから、後で説明いたします「ペーパー商法」の下地があったわけです。
ところが、いわずもがな詐欺まがいということで世論の批判が高まりまして、豊田商事は東海地区から追い出されることになってしまいます。追い出されてどうしたかと申しますと、来なくてもいいのに、今度は大阪に営業の中心を移して参ります。
さらに、昭和56年頃になりますと、豊田商事が元々やっていた金の先物取引を政府が規制することになります。
そこで、豊田商事は先物取引を中止して、今度は金の「現物まがい商法」に方針を転換するわけです。その時に設立されたのが大阪豊田商事でして、この大阪豊田商事は、後に、会社の名前から大阪という文字をとって社名を豊田商事に変えました。金の「現物まがい商法」というのを説明いたしますと、先ず、一応はお客さんである消費者に金の現物を売りつけたことにしますが、実際には、買主は代金と引換えに金の現物を貰えるのではありません。話が少しややこしいのですが、つまり、買った筈の金を直ちに豊田商事に預けさせられて、利息を払うと称して「預り証券」だけを渡されます。
こういう方法で、金の代金から前払いの利息を差し引いたお金を巻き上げるという手口です。これが「純金ファミリー契約証券」の始まりです。このように、金の現物を渡さずに「純金ファミリー契約証券」という紙切れだけを渡してお金を巻き上げるところから、「ペーパー商法」と呼ばれたわけです。この事件の特徴は、第1に、ドルショックなどを通じて金に対する国民の関心が高まっていたという背景を上手く悪用したという点に特徴があります。第2に、物品消費目的でなく、投機目的の勧誘による被害である点も特徴ですが、第3に、最も重要な特徴として、特に長年コツコツと働いてきたという一人暮らしの老人や、お年寄りの夫婦、母子家庭の方、体の不自由な方の「虎の子の蓄え」をねらった犯罪であるという意味で、社会的弱者を狙い撃ちにした極めて卑劣な犯罪であるという点です。
その手口ですが、先ず、無差別に電話セールスをして目星をつける。
最初は「そんなもんいらんわ」と断っても、電話をかけている女性社員、これはテレホンレディと呼ばれていたようですが、そのテレホンレディは電話を通じて、もうひと押しすれば何とかなるという一人住まいの老人なんかに目星をつける。そうしておいて、老人の一人住まいを狙って押し掛ける、そして、さらに卑劣なのですが、徹底的に人情を手段として使う、例えば、おばあちゃん、私を息子と思ってくれとか、すき焼きの材料を買ってきたので一緒に食べましょうとかいって、人間として一番大切な人情を使って接近する、それから次に、上がり込んで長時間粘る、強引な勧誘で、長時間の居座りとか脅し、同情を誘うあの手この手を使う、それが、老人の一人住まいを狙ってですので、つまり、法律的に見れば密室での出来事です。
詐欺や脅迫がおこなわれても、後から証拠が残りにくい、さらに、大きなビル、立派な事務所、豪華な調度品、きらびやかなパンフレットで、微細に入り舞台装置の大道具、小道具で信用させる。最後に、お金の巻き上げ方ですが、最初に根負けをさせて少しだけ買わせ、後で次々に買い増しさせてゆく、いけると思ったら、通帳や印鑑を全部預かってしまし、現金や貯金を根こそぎ巻き上げてしまうという段取りです。このような手口を使って、3?4年の間に全国60ヶ所の営業所、7000人の従業員、顧客数5?6万人、集めた金額2000億円にまで膨れ上がったのです。そうしますと、特に老人を狙った強引な押し売りに世間の批判が高まって参りまして、被害を救うために訴訟などの法的な手続が増加して参ります。そして、裁判に勝った被害者が、豊田商事へ差押にゆくと、事務所に現住にガラスケースに入れられて保管されている「金の延べ棒」が、果たして蓋を開けてみると、本物の金ではなくハリボテであったりする、そういうようなことから、最初から赤字体質で、つまり最初から預かった金を買主に返す気などなくて、早い時点で行き詰まるものであったことが益々はっきりしてくることになります。
さらに、ベルギーダイヤモンドという会社を設立しまして、これが先程説明しましたマルチまがい商法の会社なんですが、要するに、悪どい詐欺まがい商法なら何でもやる、これが豊田商事グループだったわけで、次第に社会的な非難が集まってくるようになって参ります。
もっとも、豊田商事グループとしては、少しでもながらえようとして、昭和59年には今度は鹿島商事という別会社を設立します。
この会社を使ってゴルフ会員権を販売しようとしたわけです。元々豊田商事がやっていた「純金ファミリー契約証券」の場合は、金の延べ棒という品物を預かっているのですから、将来、時期が来れば本物の金なり現金なりをお客さんに返さなければならない、ところが、ゴルフ会員権の販売ですと、将来になってもお金を返さなくてもよい、こういった形で方向転換を図ったわけです。
そうして、その年の9月からわずか8カ月で、この会員権商法を使って、全国の約7000人の方から70?90億円を集めます。そして、豊田商事の「純金ファミリー契約証券」のお客さんを、将来になってもお金を返さなくてもよい、インチキなゴルフ会員権の販売に切り替えようとしたわけです。
ですから、インチキなゴルフ会員権販売の被害を受けたのも、やはり豊田商事のケースと同様に、そのほとんどがお年寄りだったわけです。
この鹿島商事などには「5時間トーク」というセールスマン用の講習書が残されておりまして、これによりますと、投機のためのゴルフ会員権を買わせて、買主は実際にプレーするのではなくて、それを豊田ゴルフクラブという別会社が高額な賃借料で借り上げる、会員権は必ず値上がりするから、いつでも売れるし絶対に儲かる、他のどんな投資よりも有利とたたみかけ、世間話や相手に質問させながら、5時間以上も粘り、契約させるという勧誘のテクニックが用意周到に準備されていたことがわかっています。こうしてたくさんの被害者が、虎の子の蓄えである預金や現金を、証券とは名ばかりの紙切れにすり替えられていったのです。
豊田商事グループは、さらには大洋商事という別会社を作って、海、空にまたがる総合レジャークラブの会員権販売に乗り出しますが、販売体制が整うかどうかという昭和60年の5月に、遂に豊田商事グループはゆきづまり、先ほどお話ししたような永野会長が刺し殺されるという事件を直接のきっかけとして、7月に破産申立てがなされ、一気に崩壊に至りました。
豊田商事の崩壊で、すべての問題が解決されたかというと、それだけでは済みませんでした。それは、一つには残された被害者の救済が困難であったことと、もう一つには、その後も豊田商事の真似をした悪徳商法が発生したり、あるいは豊田商事の残党がさらに被害者を生み出しているという事実です。