「著作物性 - 著作権法による保護の客体」 岡村久道
3 「表現したもの」という要件
− 大きな枠組としての「表現・アイデア2分法」
(1) 著作権法と「表現」及び「アイデア」
著作権法は「表現」を保護するものであって「アイデア」を保護するものではない。
すなわち、著作権法2条1項1号によると、著作物は「表現したもの」をいうのであり、アイデアは著作物ではないので、著作権法による保護は及ばない。
その論拠は次のとおりである。
工業所有権制度はアイデア保護を目的としており、例えば特許法では、公的機関により保護に値するアイデアか否かを審査し、他方でクレーム制度により保護されるアイデアの範囲を公示している。著作権によるアイデアの保護を認めると、前記審査や保護範囲の公示なしに事実上その著作者に当該アイデアを独占させてしまうことになる。*1
(2) リーディングケース
「アイデア」は著作権法の保護範囲外である旨を明らかにしたのが、次の2つの判決である(傍線筆者)。
@ 大阪地判昭和54年9月25日判タ397号p152(発光ダイオード論文事件)
「著作権法が保護しているのは・・・具体的に外部に表現した創作的な表現形式であって、その表現されている内容すなわちアイデアや理論等の思想及び感情自体は、たとえそれが独創性、新規性のあるものであっても、・・・原則として、いわゆる著作物とはなり得」ない。
「殊に、自然科学上の法則やその発見及び右法則を利用した技術的思想の創作である発明等は、・・・著作権法に定める著作者人格権、著作財産権の保護の対象にはなり得ず、ただそのうち発明等が・・・工業所有権の保護の対象になり得るに過ぎない」。
「自然科学上の法則ないし物質の構造、性質等の記述については、その創作的な表現形式(説明方法)が著作者人格権、著作財産権保護の対象となることは格別、その内容自体については、それが仮に原告が最初に着想した独創性のあるものであっても、著作者人格権・著作物利用権保護の対象となるものではない。」
A 大阪高判平成6年2月25日判時1500号180頁
「数学に関する著作物の著作権者は、そこで提示した命題の解明過程及びこれを説明するために使用した方程式については、著作権法上の保護を受けることができない」。
「一般に、科学についての出版の目的は、それに含まれる実用的知見を一般に伝達し、他の学者等をして、これを更に展開する機会を与えるところにあるが、この展開が著作権侵害にとなるとすれば、右の目的は達せられないことになり、科学に属する学問分野である数学に関しても、その著作物に表現された、方程式の展開を含む命題の解明過程などを前提にして、更にそれを発展させることができないことになる。このような解明過程は、その著作物の思想(アイデア)そのものであると考えられ、命題の解明過程の表現形式に創作性が認められる場合に、そこに著作権法上の権利を主張することは別としても、解明過程そのものは著作権法上の著作物に該当しない」。
(3) 「表現」と「アイデア」との区別
もっとも、何が「表現」で何が「アイデア」なのかを区別することは、必ずしも容易ではない。
例えば、著作権の保護期間が経過しているかどうかという点をしばらく捨象すると、「ロメオとジュリエット」、「ルチア」及び「ウエストサイドストーリー」がそれぞれ最上級の著作物であることに疑問を持つ者はまず存在しないであろう。
しかし、準拠法の問題はともかくとして、「互いに憎悪を持つ2つの家の若い男性と女性とが恋に落ちたが、両家の対立故に悲しい結末に終わる」というストーリー展開に着目して、仮にこれを「表現」に属するものと考えて、その共通性を強調すれば、「ルチア」は「ロメオとジュリエット」の盗作つまり著作権(翻案権)侵害であることになる可能性が生じる。
さらにストーリーを抽象化して、「互いに憎悪を持つ2つの組織に各々属する若い男性と女性とが恋に落ちたが、両組織の対立故に悲しい結末に終わる」というストーリー展開に着目して、仮にこれを「表現」に属するものと考えて、その共通性を強調すれば、「ウエストサイドストーリー」さえも「ルチア」や「ロメオとジュリエット」の盗作つまり著作権(翻案権)侵害であることにすらなりかねない。
これは、アメリカのロースクールでよく用いられる「教室設例」であるが、要するに、「表現」は抽象化すればするほど「アイデア」に近付く場合があるので、その両者の線をどこで引くのかということは実際には困難な問題である。